パワハラやモラハラの加害者が思いもよらない時・場面で「キレ」る理由について、片田先生は、「日々のささいな問題が、子どもの頃の欲求不満をよみがえらせるから」だと指摘します(「なぜ、『怒る』のをやめられないのか」p48)。補足すると、ジークムント・フロイトによれば、(怒りなどの)抑圧されたものは、「エス」(おおむね「無意識」に対応するもの)の中において不変の状態で保たれ、これが時を経て放出されるという説明になります(「心的な人格の解明」1933)。

要するに、ひとたび「怒り」を抱いたが最後、それは消え去ることなく、その人の「エス」の中に沈潜して、時や場面を超えて放出されるというわけです。片田先生は、この現象をとらえて、「怒りは排泄物のようなもの」と評しました(前掲p230)(但し、後述する現象を含めて考えると、「ババ抜きのジョーカー」という比喩の方がしっくり来るかもしれません。)。

さらに、他者から受けた「怒り」は、(おそらく上記のようなメカニズムとも相俟って)第三者に転嫁されます。フロイトの娘アンナ・フロイトは、不安や恐怖を受けた人が自分より弱い人を攻撃する現象について、「攻撃者を擬人化し、その属性を潜取し、攻撃を模倣する」ことによって、「恐怖を与えられる者から恐怖を与える者に変化」しようとするのだと分析しました(「他人を攻撃せずにはいられない人」p159)。これは、「会社で上司から叱責されているサラリーマンが、家に帰ると妻や子供に当たり散らす」という現象をうまく説明しているように思います。

こうして、「怒り」は社会の中を連鎖していくのです。