個人と法人との関係について、ローマ法学者の木庭顕先生は、次のように指摘します。

ギリシャ・ローマの事柄に通じることを要求する大きな理由の一つは、およそ団体ないし集団に対して根底的に懐疑的でこれを許さないという太い原則をまずは理解して欲しいからである。これは自由、つまりは政治・デモクラシー・法を貫通する大きな土台である。法人理論はその上にぎりぎりのことをしようとして形成されてきた。こういう意識抜きに法人は論ずることも扱うこともできない。ギリシャでもローマでも法人など存在せず、(特にローマで)結社団体は強く禁止されていた、にかかわらずギリシャ・ローマから勉強を始めることを他の分野にもまして要求するのはそういう理由に基づく。

そのように、結局法人論は、われわれの社会の構成原理をそもそもどうするかということに大きく関わるのである。」(「法学再入門 秘密の扉 民事法篇」p361)

木庭先生も指摘するように、法律家としては、「およそ団体ないし集団に対して根底的に懐疑的でこれを許さないという太い原則」に基づき、「最後の一人」を守り抜くという覚悟が必要と思われます。

もっとも、現在の日本社会で生活していると、特に会社勤めの人などは、団体・集団志向になりがちであり、あるいは、団体・集団志向に巻き込まれがちです。そのようなときには、立ち止まって冷静に考える必要があります。