前回、やや不用意に「無分節」という特殊なタームを使用しましたが、その前に、大本となる議論をご紹介すべきでした。それは、「政治」とは何かというものです。

おそらく、多くの大学では、「『政治』とは、諸価値の権威的配分(the authoritative allocation of values)である」(David Easton,デイヴィッド・イーストン)などという説明がなされていると思いますが、これは古典的な政治の概念からは遠い上、「諸価値」や「権威的」という表現が不明確であり、適切でないと思われます。木庭先生によれば、(原義における)「政治」とは、「自由で独立の主体から成る合議体が議論のみによりかつ議論を詰めて決定したことがオールマイティーであり、全員が留保なくそれに従う(というもの)」と定義されます(「笑うケースメソッドⅡ 現代日本公法の基礎を問う」p22)。

ここでいう「自由で独立の主体」間の関係を、「分節」(articulation)という言葉で表現するのですが、これに対抗するものとして、「枝分節」(segmentation)(交換・利益誘導・権威配分等々によって成り立つ主体間の関係)及び「無分節」(実力、軍事化等々によって成り立つ主体間の関係)が挙げられます(「政治思想学会会報」第10号p14)。(ちなみに、前回使用した「無分節」というタームは、主体同士が実力や軍事化などの原理によって結合されており、相互に自由・独立の関係にない状態を表現したものです。)

そして、「政治」は、「占有」(あるリソースをめぐる人々の関係を、一方には「対象物との個別的で明快で固い関係」があるのに対し、他方には「これを包み込むようにして圧迫する錯綜していて透明でない集団」があるという風にコントラストで捉えた上、前者を保護するという原理。「笑うケースメソッド 現代日本民法の基礎を問う」p14)、そして、「占有」を中核とする「法」という制度の基礎・前提を成しています。