③ それが出現するためには、個人が、ある明確な目的を持ち、かつ、自傷行為などの何らかの儀礼を行わなければならない。

個人が組織・団体に加入する際には、何らかの儀礼(通過(加入)儀礼)が行われることが一般的です。こうした通過(加入)儀礼には、既に指摘した「自傷行為型」と「人格否定型」のほかに、最もソフィスティケートされた形式である「試験」が含まれると言ってよいのではないかと思います(考えてみれば、「試験」は、自分自身に多大な負担・犠牲を強いたり、場合によっては自分を傷つけたりすることもありますので、「自傷行為型」に含めてよいかもしれません。)。

試験と言えば、司法試験は、法曹になるための資格試験であると同時に、裁判官や検察官に限って言えば、裁判所や検察庁に入るための儀礼(加入儀礼)とみることが出来ます。また、日本の行政機構は「メリットシステム(資格任用制)」を採用していますので、行政官の採用試験も加入儀礼ということが出来ます。

さて、ここで次に、行政官でありかつ政治学者でもあった人物による「金融ビッグバンの政治経済学」という論文を紹介したいと思います。というのは、ここに、明治期以来、日本の(一部の)エリート層が抱えてきた、個人と組織との関係に関する大きな問題が顕れていると思うからです。

ちなみに、この著者は、日本の政治を「仕切られた多元主義(bureaupluralism)」という概念を用いて説明する青木昌彦氏の教え子とされていますが、この学派は、「政治」という言葉を、「利益の分配・交換」といった意味合いで用いていますので、その点には注意が必要です。