「金融ビッグバンの政治経済学」は、スタンフォード大学のGraduate School of Humanities and Sciences に提出された博士論文の邦訳ですが、私見では、日本における「金融ビッグバン」の分析にはとどまらず、日本の政治家及び行政官の行動原理をインサイダーの立場から論じたものとして、重要な意義を有していると思います。

著者の主張の概要は、以下のとおりです。

① 日本における「金融政治」の「国家アクター」は、政党と省庁である(p76~)。

② 政党は「議席」の最大化を図り(p77~)、省庁は「組織的な名声」の最大化を図る(p80~)。つまり、アクターは、「組織存続」すなわち「自己維持」を究極の目標とする(p45)。

③ 自由民主主義のもとでは、「公衆」の支持を失ったり「国民の敵」と目されたりする集団は存続できない。従って、そのような事態が起こるならば、アクターは、存続を追求するために「公衆」の支持を獲得しようとするだろう(p48~)。

④ 「公益」は、公衆あるいは消費者の(経済的あるいは社会的)福祉に関する客観的尺度であるが、それを具体的に把握することは難しく、何が「公益」であるかは分からない。そのため、アクターの政治的計算にあるのは、「公衆の支持」(つまり、公衆が「公益である」と思っているもの)であり、「公益」とは必ずしも一致しない(p317~、338~)。

⑤ 日本における「金融政治」の主要な「国家アクター」である政党(A党)及び省庁(B省)は、いずれも支持者層(金融業界等)から支えられる立場にあったが、それにもかかわらず、「組織存続」のため、支持者層からの財・サービスの提供ではなく、「公衆」の支持を獲得することを狙い、金融ビッグバンを実現させた(p17ほか)。

 ここで、まず、著者が、「存続」の主体は個々の人間ないし具体的な人々ではない(かつ、「国」でもない)と指摘している点が注目されます。法人は、元々「キリスト(神の息子)の身体」を記号化したものであり、特定の人々又は特定の財産という「基体」(substratum サブストレイタム)を持つことが不可欠なのですが(「法学再入門」p350~)、日本の「金融政治」においては、「組織」という抽象的な主体が主役となっています。

 また、著者が、政党や省庁は、政策の実現や法の執行などの「公益」ではなく、「組織存続」を目的としていると指摘している点も重要です。法人存立の要件の1つは、本来「慈善ないし公益」(pia causa ピア・カウサ)なのですが(前掲・p351~)、「政治アクター」においては、自らの「組織存続」が究極の目的となっています。

こうした特異な現象を理解するためには、「組織」を「イエ」と読み替えるとよいのではないかと思います。例えば、「『イエ』にとっては、『イエの存続』が究極の目的であり、それゆえ、構成員の増加や名声の最大化を追求する。」という風に。