この映画で注目すべきは、周吉と次男の妻:紀子(原節子)についての「個人の析出」のありかたです(ちなみに、小津映画における笠智衆と原節子は監督の「分身」ないし「身体」と言われており、本作でもこの二人が主人公です。)。周吉は「イエ」の崩壊と妻(とみ)の病死によって、また、紀子は夫(昌二)の戦死によって、それぞれ個人として析出されます。ここで監督が、周吉について、「高齢者の孤立」という今日にも通じる問題を提起していることは明らかですが、紀子については、戦後特有の問題、すなわち、子どものいない戦争未亡人の(「イエ」からの)自由と独立という問題を提起しているとみられます。

この「戦争未亡人の自由と独立」というテーマについては、川端康成も、「山の音」(昭和29年(1954年))の中で扱っています。主人公の尾形信吾(62歳)は、長男:修一との間で不倫の子を宿したとみられる絹子に対し、「不自然な子」(婚外子)を産まないよう要請しますが、絹子は、「戦争未亡人が私生児を産む決心をしたんですわ」、「修一さんの子どもじゃありません」などと反論して拒否します(新潮文庫版ではp322~324)。これが、旧来の「イエ」に対する反抗であることは明らかです。

紀子も絹子も、子どものいない戦争未亡人であるが故に、「存続・永続」を究極の目標とする「イエ」からの義務を免かれ、その意味において自由な地位を獲得しますが、反面、自身の生活という問題、場合によっては自由を失う危機に直面します。紀子は、一旦は「わたし年とらないことに決めてますから」と、時間を止めて昌二への追憶の世界に生きることを宣言しましたが、暮らしぶりを見る限り、経済的な余裕はなさそうです。これに対し、「山の音」の絹子は、修一(又は他の男性)の婚外子を産むことによって人生の再出発を図りますが、紀子がその後どのような人生を歩むのかについては、この映画では描かれていません。

もっとも、若干のヒントめいたものが、ラスト近くに出てきます。この映画のクライマックスは、周吉が、亡くなったとみが持っていた時計を仏壇の引き出しから取り出し、

これァお母さんの時計じゃけえどなあ今じゃこんなもの流行るまいが、お母さんが恰度あんたぐらいの時から持っとったんじゃ。形見に貰うてやっておくれ

と述べて、紀子に手渡すシーンです。これが、「あなたの人生の時間を進めて欲しい」という周吉から紀子へのメッセージであることは明らかですが、「永続性」の象徴である時計を家長自らが手放す行為は、「イエ」の終焉を示唆するものとも言えます。

さて、紀子は、「イエ」からは自由な立場にあるものの、完全に自由で独立の状態になったわけではありません。商事会社の事務員であり、「カイシャ」という中間団体に属することによって生活の糧を得ています(とはいえ、比較的責任が重くないポジションのためか、休暇を取って周吉ととみの東京見物に付き添うことが出来ました。)。そして、「東京物語」や「山の音」から約10年後、この「カイシャ」が抱える問題を鋭く抉り出す小説が現れました。