三島由紀夫の「絹と明察」(昭和39年(1964年))は、近江絹糸争議(昭和29年(1954年)6月2日~9月16日)を題材としたモデル小説とされています。しかしながら、この小説を、昭和のある時期・ある「カイシャ」において発生した一つの事件を取り扱ったものに過ぎないと捉えるのは誤りです。それは、作者自身が、「書きたかったのは、日本及び日本人というものと、父親の問題なんです。」(「著者と一時間」朝日新聞・昭39・11・23)と述べるとおりであり、また、この作品を次の2つの視点から見ることによっても明らかとなります。

第一に、この小説が何をモデルとしたものかという点が重要です。例えば、主人公である駒沢善次郎(駒沢紡績の社長)については、複数のモデルが存在すると考えられます。近江絹糸社長(事件当時)の夏川嘉久次氏が駒沢の第一義的なモデルであることは言うまでもありませんが、作者は、親しい友人である村松剛氏に対し、駒沢紡績のモデルが実は「日本」であることなどについて語っていました(村松剛「三島由紀夫の世界」p392~)。また、ソポクレスの「アンティゴネ」に出てくるクレオンも、駒沢のモデルと思われます(ちなみに、作者はギリシャ悲劇を愛好しており、エウリピデスの「メデイア」や「ヘラクレス」の翻案を手掛けています。)。統治するのが「国家」(テーバイ)であるか「カイシャ」(駒沢紡績)であるか、反抗を企てるのが実の息子(ハイモン)であるか養子候補(大槻)であるかといった違いはあるものの、クレオンも駒沢も、「父」の権威、すなわち典型的な部族社会原理(枝分節原理の一種)を振りかざす点では共通しています。そのせいか、以下のように、二人の口から出る台詞は似通っています。

クレオン「不服従に勝る害悪はない。・・・他方、まっとうに生きる人々のところでは、服従が多くの人命を救っている。」(岩波文庫版p67)、「わしが生きている限りは、女の支配は受けぬ。」(p56)「いやはや胸くその悪い、女にも劣る心根だ。」(p72)

駒沢「会社へ入ったならば、一日も早くそこに同化することが大切であり、・・・会社の規則に従って全力を尽くしてやらなければならぬ。」(新潮文庫版p74)、「自由やと?平和やと?そないなこと皆女子の考えや。女子の嚔と一緒や。」(p305)

第二に、ちょっと気づきにくいかもしれませんが、この小説が、「鏡子の家」(昭和34年(1959年))を伏線としている点にも注意する必要があります。「鏡子の家」が、同時代の評論家や読者から「初めて失敗作を書いた」と指摘されたほど不評であったため、作者としては心中ひそかに期するところがあったようです。「これ(「絹と明察」)は、ぼくにとって、最近五、六年の総決算をなす作品です。」と述べるとおり、「絹と明察」は、「鏡子の家」の“リベンジ作”であると考えることが出来ます。「鏡子の家」と「絹と明察」との関連性については、「鏡子の家」が「父(夫)の不在」を、「絹と明察」が「父の敗北(死)」をそれぞれテーマにしていることからほぼ明らかですが、駒沢の最後の独白、すなわち「鏡」の隠喩のくだりを見ればいっそうはっきりします。

今かれらは、克ち得た幸福に雀躍しているけれど、やがてそれが贋ものの宝石であることに気づく時が来るのだ。折角自分の力で考えるなどという怖ろしい負荷を駒沢が代わりに背負ってやっていたのに、今度はかれらが肩に荷わねばならないのだ。大きな美しい家族から離れ離れになり、孤独と猜疑の苦しみの裡に生きてゆかなければならない。幸福とはあたかも顔のように、人の目からしか正確に見えないものなのに、そしてそれを保証するために駒沢がいたのに、かれらはもう自分で幸福を味わおうとして狂気になった。そうして自分で見るために、ぶつかるのは鏡だけだ。血の気のない、心のない、冷たい鏡だけ、際限もない鏡、鏡……それだけだ。」(p336~337)