ビジネス界において、「犠牲強要」を求めてくるのは主として「カイシャ」の経営者/経営陣と思われますので、カイシャ経営者/経営陣の思考・行動を分析することが有用となります。これについては、いわゆる「経営法曹」に属するある弁護士が、最近開催されたある研修(日弁連ライブ実務研修)の講師として、経営サイドの見解を開陳していますので、抜粋して引用してみます(この研修は、後にeラーニングで見ることが出来るようになると思われます。)。

企業には営業の自由が認められるところ、営業の自由を実現する上で、「調達材」は必須である。

企業にとって、ヒト、モノ、カネは、「調達材」である。そして、ヒト、すなわち労働力も「調達材」の一種である以上、柔軟に使用出来ることが求められる。

この弁護士は、「調達材」の意義を明らかにしませんでしたが、文脈からして、経営学で一般に言うところの「リソース(経営資源)」という意味と解されます。ここには、個人と・組織・法人(9)で紹介した、常に集団(ここでは企業、カイシャ)に定位しようとする(反面、決して「個人」に定位しようとはしない)日本のエスタブリッシュメント特有の発想、さらに言えば、個人の犠牲のもとに「法人」の“人権”(実質は集団の利益)を優先させるかのような発想が垣間見えます。

また、ここでは、「ヒト」が「モノ・カネ」(元手=資本)と同列に論じられている点も重要です。資本が不足すれば、「ヒト」に負担がかかることは容易に想像出来るところだからです。ミクロ経済学の教科書に出てくる、縦軸に「資本」を、横軸に「労働」をとった等量曲線(isoquant)を思い出すとよいでしょう(例えば、「講義57.等生産量曲線③」などが参考となります)