bona fides というと聞き慣れない言葉のようですが、実は、日本の民法にはこれを取り入れた条文が存在します。その代表が94条2項で、同条項は、「前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。」と規定しています。この「善意」という言葉は、bona fides のフランス語訳であるフランス民法のbonne foi (ボンヌ・フォワ)を、民法起草者が「善意」と直訳し、かつ、その意味を「知らない」(英訳ではwithout knowledge)と解してしまったために、もとの意味がすっかり失われていまいました(以上は木庭先生の講義からの受け売りです。)。

もとの意味は、むしろ民法1条2項「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」(「信義誠実の原則」(英語で言うとgood faithで、英訳では“The exercise of rights and performance of duties must be done in good faith.”となっています。))に近いそうですが、bona fides の正確な意味については、私もよく理解できていないというのが正直なところです。本来であれば、「法存立の歴史的基盤」(東京大学出版会、2009年。索引も入れて全部で1358ページ)の第Ⅲ章(p583~877)が丸々「BONA FIDES」に関する記述となっていますので、これを熟読すべきところでしょう。ただ、この本は、「政治の成立」(同、1997年。425ページ)及び「デモクラシーの古典的基礎」(同、2003年。936ページ)を前提しているため、まず後2者を読んでおく必要があるのですが、(私見では)とりわけ「政治の成立」が非常に難解で、エベレストにたどり着く前にアンナプルナで遭難しかねないといった感があります。

こうした問題もあってか、かつての東大法学部でのローマ法の講義においては、毎年、二十歳前後の学生を相手に、誰もが知っている小説「走れメロス」を素材として、bona fidesの基本的な考え方などについて説明がなされるのが恒例となっていたようです。

「走れメロス」は、作者によれば、「シルレルの詩」(フリードリヒ・フォン・シラーの「人質(Die Bürgschaft)」)と「古傳説」(ピュタゴラス教団の特異な友情にまつわる奇譚)を翻案したものということですが、後者(古傳説)は、木庭先生によれば、「政治に対抗する強烈な横断的連帯の特殊な形、つまりデモクラシーの特殊な形に呼応する思想」に基づいており、それゆえ「「約束を守れ」ではなく、「約束を守らなくともよいのに」」というところにポイントがあります(「法学再入門 秘密の扉 民事法編」p169)。そういえばメロス(の心の声)も、「間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題でないのだ。」と述べていました。