法制史学者の桑原朝子先生によれば、日本でも、17世紀末ころの京都の町人社会ではbona fides に近い状態が出現していたものの、「町人社会が支配権力とも在地社会とも十分な距離を保てず、町人同士で水平的な連帯関係を構築できていないために、何か些細なきっかけがあると、その内部の個人に対し、不透明で複雑に絡み合った大きな権力が上からも横からも伸し掛かってきてこれを押し潰す」という構造によって崩壊したということになる思われます(近松門左衛門「大経師昔暦」をめぐって - 貞享改暦前後の日本の社会構造、北大法学論集64巻2号・3号)。

「おさん」と言えば、井原西鶴の「好色五人女」の方が有名かもしれませんが、桑原先生は、同じ事件をモデルとした近松門左衛門の「大経師昔暦」の方が、当時の社会構造をうまく捉えているとして高く評価します。「好色五人女」は単なる姦通物語にとどまるとみることも可能ですが、「大経師昔暦」はそうではありません。おさんと茂兵衛に不義密通の関係はなく、「走れメロス」のメロスとセリヌンティウスの間におけるような、「水平的な連帯関係」を読み取る方が適切であり、「大経師昔暦」では、人間一般の信頼関係がテーマとなっています(なお、桑原先生は、「信用問題」について、「人間相互間の信頼関係の構築」といった広義の信用の問題も含めて議論していますので、「水平的な連帯関係」を「信用」と言い換えても良いと思います。)。

あらすじについては、(ネタばれになりますが、)「南条好輝の近松二十四番勝負」の『大経師昔暦』だいきょうじむかしごよみがよくまとまっていますが、この浄瑠璃については、4つのポイント、すなわち、① おさんは「イエ」同士の échange の被害者であること、② おさんと茂兵衛の間には水平的な(横の)連帯関係が生じていること、③ おさんと茂兵衛を追い詰めたのは上と横からの力であったこと、④ ラストにおける仏教による救済も実際は救済ではないこと、に注意して読むと良いと思います。