入れ子構造を有する「イエ」の集合体としての国家、すなわち「家職国家」が成立したのは、この時代あるいはその少し前くらいだったとされています(個人と組織・法人(10))。もっとも、江戸時代の「イエ」は必ずしも盤石ではなく、大名ですら幕府(公儀)によって「お家取り潰し」(改易)をされてしまうという、サラリーマン社会に例えれば解雇のシステムがあったことは周知のとおりです(実際、(近松の筋書きとは違って)大経師家は取り潰しの処分を受けています。)。このため、イエの存続を図るべく、皆が必死に奉公(自己犠牲)に努めていたのではないかと想像されます(結局、「大経師昔暦」の中で登場人物が échange を完全に克服したといえるような場面はなく、échange の克服のためには、後に述べるとおり、「近松物語」における、おさんの「(あんたのために)死ねんようになった」というセリフを待たなければなりません。)。

さて、ストーリーはここからやや不自然な展開を見せます。おさんが自分をかばった玉に礼を述べると、玉は、以春から日常的にセクハラを受けていることを打ち明けます。これを聞いたおさんは、以春を懲らしめるべく、その夜、玉の部屋に玉のふりをして待機し、以春が来るのを待っていたところ、実際には茂兵衛がやってきて、二人は肌を合わせてしまいます。この「取り違え」のくだりは、一般には、西鶴の「好色五人女」の筋書きを採用した(要するにパクった)ものとされていますが、西鶴の独創とも言い切れません。というのは、「誤って目的の女と別の女と契るという趣向」は、「夜の寝覚」や「堤中納言物語」以来の日本文学の伝統だからです(加藤周一「日本文学史序説 上」p256)。但し、もともとこれは平安時代の妻問婚を背景とするものでした。

このくだりは、研究者の間で「意志なき姦通」と称されてきましたが、この表現は不適切かもしれません。なぜなら、江戸時代において、「密通」とは、婚姻関係外の、自由な意思による性交渉を指していたところ、おさんにも茂兵衛にもそのような意思はなかった(犯罪の故意がない)からです。この点をとらえて、近松は、おさんと茂兵衛の間には終始一貫して恋愛感情がないという設定にしています。しかも、ラストに近づくと、おさんは茂兵衛を呼ぶのに「こなた」(それまでの「そなた」より敬意が高い)という語を用い、茂兵衛はおさんを「そなた」(それまでの「お前」よりくだけた呼び方)と呼ぶといった具合に、両者間の上下関係が逃避行を通じて変化し、より水平的で強い連帯の関係が生まれたことが示されています(桑原・前掲)。ここが近松の素晴らしいところです。