おさんと茂兵衛は役人に捕まり、刑場に連れていかれます。そこに駆け付けたおさんの両親(道順夫妻)は、「磔にも獄門にも此の爺媼を代に立て」と必死に命乞いしますが、警護の者に追い払われてしまいます。まさに刑が執行されようとしたとき、突如現れておさんと茂兵衛を救ったのは、「東岸和尚」というお坊さんでした。これは、ギリシャ悲劇では有名な「デウス・エクス・マキナ」と呼ばれる手法ですが、この「仏教による救済」について、桑原先生は、「押し潰そうとする力があまりに大きく、しかもその構造が見通せない場合、その内部だけで何とか抵抗しようとすることは非常に困難であり、その中に完全には組み込まれていない勢力に縋るという方が、救済手段としては実効的に見える。そうした勢力として、ここで宗教権力、しかも仏教が選ばれたということも、現実の大経師家の事件を巡る動きや当時の宗教権力のあり方、仏教に内在する思想などを考慮すると、極めて妥当であるように思われる」と肯定的に評価します(桑原・前掲)。

しかしながら、私見では、この「仏教による救済」は、真の救済ではありません。当時、民衆の間では広く仏式先祖祭(仏教式の「血食」)が行われていたそうですが、この風習の根底にある思想は、仏教本来のもの(桑原先生が言うところの「仏教に内在する思想」)ではありません。個人と組織・法人(11)で引用した柳田國男による指摘のとおり、「血食」はもともと日本(及び中国)古来の風習であって、仏教的な輪廻転生の思想とは相容れないものです。したがって、江戸時代に日本で行われていた仏式先祖祭は、純粋な仏教思想に基づくものではなく、日本の土着的死生観が仏教を根本から変容させた結果生まれたものとみるべきです。その上で、翻って考えると、おさんを犠牲にしてしまったそもそもの元凶は「イエ」だったわけであり、「イエ」を支え、その存続・永続を究極的に担保していたのが(日本式)仏教なのですから、「仏教による救済」という言葉自体が矛盾を孕んでいることは明らかでしょう。

以上のとおり、結局のところ、近松は、当時の社会の問題点を指摘することは出来たものの、解決への糸口を提示することまでは出来なかったと考えられます。そして、このことは、作中で、何の罪もない玉が無残な死を遂げるところからも分かると思われます。