①は、「ヴィークル」、「人格 personnalité」としての集団(ここではテーバイという国家)の存続・永続を個人に優越する価値とみる思考(極論すると、「9人が助かるのであれば1人を犠牲にしてもよい」という思考)のマニフェストであり、日本のエスタブリッシュメントの多くや一部の金融機関・企業経営者などもこれを共有しています(個人と組織・法人(9)個人と組織・法人(41)個人と組織・法人(43)などをご参照)。

②は、女性や子供をéchange の対象と考える部族社会原理の思考を露骨に表現したものです。モースが指摘するように、未開社会においては、女性(クレオンの言う「畠」)と子供はéchange の対象なのでした(個人と組織・法人(48))。

③は、後世の挿入ではないかと真正を疑われた箇所ですが、これがヘロドトスの「歴史」からの引用である点については争いがないそうです(岩波文庫版p189~)。

王様に申し上げますが、神様の思召しがあれば、私は別の夫をもつこともできましょう。また今の子供たちを失っても、ほかの子供を設けることもありましょう。しかし父も母も既にこの世にない今となっては、もうひとり兄弟をもつことはどうにもできぬことでございますもの。」(岩波文庫「歴史」(上)p419)。

②と③を比べてみると、②は妻と子供を、③は夫と子供を、それぞれéchange の対象、すなわち「将来において出現/獲得しうるもの」とみている点では共通しているようです。ところが、クレオンとアンティゴネがéchange の主体をそれぞれどう捉えているかを考えると、両者には天と地ほどの差があることが分かります。クレオンは、「船」(テーバイ)と「友」、要するに集団がéchange の主体であると考えているようですが、アンティゴネは、échange の主体はあくまで自分という個人であり、その自分にとって、兄=ポリュネイケースは「交換不可能」=échange(exchange)出来ない・かけがえのない存在であることを強調しています。