クレオンの「集団思考」は、彼の語彙に端的にあらわれています。

Kreonの語彙は父-祖国(略:ギリシャ語)と友と敵(略:ギリシャ語)という種類に尽くされる。政治の語彙であるように見えて部族的観念をたっぷり吞み干したデモクラシー期特有の混乱である。そればかりではない。Kreonの基本カテゴリーは対価(略:ギリシャ語)及び利得(略:ギリシャ語)即ち交換である。」(木庭顕「デモクラシーの古典的基礎」p279)

クレオンのように、échange の主体は集団であると考えると、「かけがえのない一人」というものは存在しないことになりますが、こうした思考をアンティゴネは正面から否定します。

夫の死後また別の子を得ることもできる。これに反して既に死んだ父母からの兄弟の関係は唯一である。もう決して兄弟が生まれて来ることはない。だからこそPolyneikes に自分が連帯しなければ誰が連帯するのか,というのである。交換不可能であること,唯一であること,こそが却って連帯を要請する,ということになれば,échangeと不可分の部族的結合関係(「祖国」)を全てとするKreon の立場は全く無くなる。完全に個別的である,他の利害を許さない,という原理を突き詰めれば詰めるほど絶対的な連帯の必要性が導かれる,ということになるからである。(中略)

Haimon にとってAntigone は交換不可能であるからHaimon は運命を共にするであろう。Haimon の母にとってHaimon は交換不可能であるから彼女も後を追うであろう。Kreon が結局息子と妻を一時に失うのは論理的な帰結である。」(前掲・p283~284)

さらに、クレオンの思考を突き詰めれば、息子(ハイモン)と妻(エウリュディケ―)だけでなく、実は、自分自身すらexchangeable(交換可能)な存在になってしまいます。「集団思考」が結局自己否定に行きついてしまったわけですが、この矛盾に彼自身は気付いていなかったようです。