柳田先生に対しては大変畏れ多いことですが、これを私が「平成・令和史 世相篇」として改訂すると、以下のとおりとなります。

カイシャの永続には、はやくからかなりの犠牲を必要としていた。常住に、多数の労働者の無理な辛抱を要求していたのであった。一つのカイシャの勢力を保持するには、経営者/経営陣の努力苦心はもちろんであるが、さらにこれを助くる者の完全なる従順、時としては自由の制限さえも必要であった。

多くの男女が正社員に昇格できない就職をしなければならぬことは、決して就職氷河期だけではなかった。彼らはしばしば質素以上の悪い生活に甘んじていた。末には幹部となるべき正社員でも、こうして共同の労に復さなければならなかったのは一つだが、非正規雇用社員以下に至ってはその希望すらもなかった。十分な信用が与えられるのであれば、もちろん機会を見て独立・起業の計画も立てられ、または非正規雇用社員が正社員登用の縁を求めて他のカイシャに転職することもしだいには許されるようにはなったが、なお残りの者は同じカイシャに留まって、下積みの生涯を送ることになっていた。新時代の変化はすなわちまず、この団結の分解をもって始まらなければならなかったのである。

原文の「家」を「カイシャ」、「土地」を「信用」などと置き換えると、不思議なことに、バブル期以降の日本社会の説明としても通用してしまいます(なお、「信用」は、場面に応じて「キャッシュ・フロー」と言い直しても良いかもしれません。)。同時に、ここでは、本来であれば「土から生まれた者たち」という風に、「ヨコの連帯」のために作用するはずの「土」の原理が、集団内部の「タテの序列化・抑圧」のために作用していることが注目されます。かつ、この時点ではまだ軍事化の契機が現れていないことにも注意すべきでしょう。

さて、それでは、「団結の分解」、すなわち次男次女以下の解放は何をもたらしたのでしょうか?これについても、柳田先生が一つの答えを示してくれています。

日本の家族制度では、過去三百年以上の久しきにわたって、ちょうどこの陸川老の腹の中のように、家の根幹を太く逞しくしようとする長子家督法と、どの子も幸福にしてやりたいという分割相続法と、二つの主義が相闘いまた妥協し続けていた。そうしてその結果が今日の海外進展になるまで、譬えようもないほどの大きな歴史を作り上げているのである。先祖の悩み苦しみは、我が民族にあっては特殊にまた切であった。」(ちくま文庫「柳田國男全集 13」p21、角川ソフィア文庫「先祖の話」p23)