「岡野はハイデッガーがあの「帰郷」に註して、「宝、故郷のもっとも固有なもの『ドイツ的なもの』は、貯えられているのである。・・・・・・詩人が、貯えられたものを宝(発見物)と呼ぶのは、それが通常の悟性にとって近づき難いものであることを知っているからだ」と書いたときに、見かけは清澄な言葉で語りながら、実はもっとも不気味なものに行き当たったのではないかと疑った。
「されどわが心にいやまさる楽しみは、聖なる門よ!汝をくぐりて故里(ふるさと)へと帰りゆくこと」
そういう「帰郷」の詩句自体が、至高の晴れやかさの裡に、いいがたい暗さ、恐怖、不安、愚かしさ、滑稽さの総体を秘し蔵しているように思われる。」(p359)
これが作者のいう「ドンデン返し」のくだりですが、ヘルダーリンの詩「帰郷-近親者に寄す」に出てくる「故里(Heimat)」(原文はHeimath)という言葉は、明らかに、駒沢の「美しい大きな家族」=「故郷(ふるさと)」という言葉と照応しています。それでは、ヘルダーリン=ハイデッガーが故郷にある「ドイツ的なもの」、「宝」と呼んだものを、作者は一体何であると考えたのでしょうか?それは、作者が規定するところの「無意識」ではないかと思われます。その手がかりが「日本文学小史」((初出:昭和44(1969)年)にありますので、少し長いですが引用してみます(なお、下線は私が施したものです。)。
「私の文学史は、読者には日本語のもつとも高くもつとも微妙で且つもつとも寛容な感受能力を要求し、一方、私の文学史が論ずる作品の作者には、どんな古い時代に生きた人でも、それ相応の明確な文化意志を要求する。私はこの文化意志こそ文学作品の本質だと規定するからであり、文化意志以前の深みへ顛落する危険を細心に避けようと思ふからだ。
文化意志以前の深みとは?私がここで民俗学的方法や精神分析的方法を非難しようとしてゐることを人は直ちに察するであらう。私はかつて民俗学を愛したが、徐々にこれから遠ざかつた。そこにいひしれぬ不気味な不健全なものを嗅ぎ取つたからである。(中略)
民族の深層意識の底をたづねて行くと、人は人類共有の、暗い、巨大な岩層に必ず衝き当る。それはいはば底辺の国際主義であり、比較文化人類学の領域である。(中略)
文化とは、創造的文化意志によつて定立されるものであるが、少くとも無意識の参与を、芸術上の恩寵として許すだけで、意識的な決断と選択を基礎にしてゐる。ただし、その営為が近代の芸術作品のやうな個人的な行為にだけ関はるのではなく、最初は一人のすぐれた個人の決断と選択にかかるものが、時を経るにつれて大多数の人々を支配し、つひには、規範となって無意識裡にすら人々を規制するものになる。」