このように見てくると、アメリカでは、軍事化原理が市民社会に浸透する事案・現象(この種の事案・現象を「浸透類型」と呼ぶことにします。)が目立つように思われます。世界最大の常備軍を有する国ゆえの宿命のようなものでしょうか。
対して、我が国においては、江戸時代、イエの「入れ子構造」によって武家(武士のイエ)の軍事化原理が他の階層にも浸透していったのではないかという仮説を「個人と組織・法人(10)」で提示しました。もっとも、これには若干の留保が必要かもしれません。例えば、丸山眞男先生は、江戸時代の武士階級は戦闘という非日常的な状況を前提としている点及び生死の運命共同性の実感を分有している点で他の階級からは隔絶しており、「義」や「分」といった軍事化原理と不可分の関係にある武士のエートスが浸透していったのは、せいぜい商家(「奉公」や「義理」)にとどまるのではないかと示唆しています(「忠誠と反逆」ちくま学芸文庫版ではp21~)。おそらく、この傾向は明治期以降も継承されたと思われ、軍事化原理が目に見えて浸透するような場面といえば、軍事教練(学校教練)くらいだったのかもしれません。
むしろ、一見すると軍事化原理の現れ又は模倣のように見えるけれども、真の狙いは別のところにあるような事案・現象を、市民社会の様々な場面で目にすることがあります。これが最も苛烈な形で現れるのが労働の現場であり、このことを、木庭顕先生は以下のように指摘しています。
「私の個人的な経験を元にすれば、やがて9条を暴力的に襲うだろうと思われた動きが孵化するのは1980年代後半、バブル期である。以後事態は真っ直ぐに沈んでいった。・・・ゆすりゆすられのコンフォルミスムはスケールの大きな観念上の軍事化を周囲に発散した。何よりも労働現場で暴力的かつ犠牲強要型のコンフォルミスムが吹き荒れた。信用システムはこの劇症のゆすりゆすられ構造に質を取られたようにしばられ、中毒ないし依存症に陥った。・・・この全体の動向は、世界の汎軍事化と相対的に独立の、ないしそれに先駆ける、ものであったが、まさにその世界の汎軍事化と相乗効果で現在現実に強固な根を張っている。」(「憲法9条へのカタバシス」p206~207)
要するに、こちらの類型は軍事化と密接な関係にあるものの、軍事化そのものとは区別されるものと位置づけられます。そこで、この種の事案・現象を、さし当たり、「転用類型」あるいは「犠牲強要型」、「疑似軍事化」などと呼ぶことにしたいと思います。