これまでの検討の中で、団体・集団に対する態度として、① 根底的に懐疑的でおよそこれを許さない(ギリシャ・ローマ型)、② キリスト教神学理論に基づき、厳しい制約の下で「神の息子の身体」として構成する(法人型)、③ 疑似血縁共同体的事業体として構成する(イエ型)、というものが出てきました。
現代社会で①を維持するのは難しく、また、個人を抑圧するおそれが一番大きいのは差し当たり③と考えられますので、消去法で②の「法人」が残るように思われます。ところが、現在では、団体・集団の「巨人」(キュークローペス)化がとりわけ金融業界で顕著に進行しており、そこでは、「法人」(なんと「国家」も含まれます。)が猛威を振るっています(「憲法9条へのカタバシス」p77)。なお、ここで「イエ」的な団体・集団が出てこないのは、おそらく、表向きはジェネアロジー(血統)に基礎を置いている関係で、組織の巨大化に一定の限界があるためではないかと思われます(もっとも、「民族」となると話は別かもしれません。)。
当初は比較的安全と思われた法人が「巨人」化した理由としては、種々のものが考えられます。例えば、ドイツでは、古くから「手工業ギルド」のような「営業的結社」が存在しており、これに法人格が付与されたため、神学理論や「公益・慈善」という目的による制約が及ばないタイプの法人が拡大し、しかも、これらが、「地方自治体」という自然的法人を模倣するようになったこと(サヴィニー「現代ローマ法体系 第二巻」小橋一郎 訳[成文堂]p223~)などを挙げることが出来ます(もちろん、これは私の推測に過ぎません。)。いずれにせよ、誕生の時点で既に「ぎりぎりの試み」だったものが、いつの間にかバランスを崩してしまったということは確かなようです。