もっとも、アメリカは、建国当初から常備軍の問題を抱えていたという訳ではありませんでした。例えば、「バージニア権利章典」(1776年)第13条は、以下のとおり、「平時における常備軍」は自由を侵害する危険なものとして避けるべきであり、防衛のために適切な実力は「民兵」(militia)であると謳っています。
“Section 13. That a well regulated militia, composed of the body of the people, trained to arms, is the proper, natural, and safe defense of a free state; that standing armies, in time of peace, should be avoided as dangerous to liberty; and that in all cases the military should be under strict subordination to, and governed by, the civil power.”
(第13条 武器の訓練を受けた人民の集団からなる規律正しい民兵は、自由な国家の適度で、当然で安全な守りである。平時における常備軍は自由に対して危険なものとして避けるべきである。あらゆる場合に民兵は文民の権力に厳格に従い支配されるべきである。)
このように、建国当初のアメリカには常備軍を敵視する発想がありましたが、やがてそれは崩れていきます。おそらく、最初の転換点は南北戦争であったと思われます。戦争中、エイブラハム・リンカーン大統領は、官憲に逮捕・投獄されたメリーランド州の住人ジョン・メリーマンのために発付された人身保護令状に対して令状停止措置を発し、そのために令状の受理が拒絶されるという事件が起こりました。リンカーン大統領は、戦時の特別措置という名の下に、令状を無視するという暴挙に出たわけです(蟻川・前掲p1~)。しかも、北軍の勝利後、南部の反逆州には軍政が敷かれ、住民の人権は制限を受けることとなりました。
次の転換点は、セオドア・ルーズベルト大統領による「棍棒外交」、すなわち「カリビア政策(Caribbean Policy)」であったと思われます。独立戦争中(1775年)、「大陸海兵隊」として創設された海兵隊は、同大統領の時代になると、パナマ共和国の独立への介入をはじめ、対外的な実力行使のために用いられました(齋藤 眞「アメリカ政治外交史」p162~)。「平時における常備軍」となった海兵隊は、その性質上、国土防衛を目的とするものではないことから、もっぱら対外的な軍事作戦に利用されたのでした。
さらに、第二次大戦中、軍事化の原理は国内の、しかも市民社会に向かうこととなります。1940年、宗教的な理由から学校での国旗への起立と忠誠の誓いの復唱を拒否した小学生が退学処分を受けるというGobitis(ゴバイティス)事件が起こりますが、このとき最高裁は、「国家の一体性(National Unity)」の価値を強調して教育委員会側を勝訴させます(蟻川・前掲p79~,p163~)。もっとも、この判決は、卓越した裁判官であったロバート・ジャクソン判事らによるBarnett(バーネット)判決(1942年)により変更されました(蟻川先生の「憲法的思惟」(岩波書店)は、このジャクソン判事をいわば主人公としています。)。