大経師家の下女である玉に親・きょうだいは無く、唯一の肉親としては伯父の赤松梅龍がいるのみであり、大経師家という「イエ」のヒエラルキーにおいては最も下に位置しています。玉は、既に説明したとおり、以春からセクハラを受けていた被害者ですが、意図せずしておさんと茂兵衛の不義の仲立ちをしたことにされてしまい、伯父のもとに逃れます。梅龍は、玉に「首を切られ手足をもがれ試(ためし)物になるとても。主と頼んだ人ゆゑ命惜しむな梅龍が姪ぢゃぞ。」と説いて、主人であるおさんの為に死ぬ覚悟を持つよう命じますが、ここでもやはり「自己犠牲」が美徳とされています。

梅龍は、おさんと茂兵衛が捕まった現場に駆け付け、「此の度おさん茂兵衛缺落(かけおち)の事ゆめ〱(ゆめゆめ)両人の不義はなく。此の玉が由なき詞(ことば)を聞き違へ嫉妬の心餘って。聞き違ひの誤りにて思はず不義の虚名を取る事。詮ずる所玉めが口からなす業科(わざとが)は一人。即ち玉が首討って参るからは。両人の命助け下さるべし」と述べて玉の首を差し出します。玉を「犠牲」にすることで、おさんと茂兵衛の命を救おうとしたわけです。ところが、そこにいた役人は、「此の両人の囚人(めしうど)は科(とが)の実否(じっぷ)定まらず。京都において中立(なかだち)の女。其の玉を證拠に詮議あらば事の次第明かにあらはれ。両三人とも助かる事も有るべきものを。肝心要(かなめ)證拠人の首を討って。何を證拠に詮議有るべき。」と応じ、非情にも、玉の死が「無駄死に」であったことを告げます(ちなみに、実際の事件では、仲介者は獄門に処せられています。)。

このくだりについて、桑原先生は、「主人のために命を投げ出すことは、確かに当時の武家社会、あるいは梅龍が慣れ親しんでいる『太平記』の世界においては、賞賛の的となる行為である。しかし、近松は、玉の死を敢えて無駄死にと位置付け、梅龍をも苦しませることで、そうした武士の論理の残酷さと無意味さを強調する。玉は誰かの身代わりではなく、自身がかけがえのない存在なのであり、おさんと茂兵衛は玉を尊重することで、商業の世界をも支える新しい連帯の構築を目指した。よって、最も弱い立場にあるからといって玉を犠牲にすることは、他の者を救うどころか、このような連帯の可能性を潰し、これに支えられるべき社会全体を揺るがすことを意味するのであり、親のない子のような、最後の砦すら持たない者を、皆が親代わりになって守れるか否かに、まさに当該社会のあり方がかかっている、ということになる。」(桑原・前掲)と的確に指摘しています。