échangeの拒否」は、ギリシャ悲劇ではお馴染みのテーマのようで、その代表例として、「アンティゴネ」が挙げられます。

「オイディプースには息子エテオクレースとポリュネイケース、娘アンティゴネーとイスメーネーがあったが、オイディプース亡き後、兄弟は王位を争い、敗れたポリュネイケースはアルゴスの国に逃れ、そこの王女の婿となり、アルゴス軍を率いてテーバイに攻め寄せる。アルゴス軍は敗れて撤退するが、エテオクレースとポリュネイケースは相討ちに果てた。兄弟の叔父にあたるクレオーンが王位に就いたところから、本劇は始まる。」(岩波文庫版p14

「(クレオンは)あとを収めて厳しい布令を出す。町を護って戦った人々、とりわけエテオクレスらをねんごろに葬った一方、来攻した敵方、とりわけその将ポリュネイケスの屍は、野ざらしにして鳥獣の餌食とするよう、哀悼も埋葬も厳禁して、これを犯すものは死に処するとまで宣告した。逆境に育てられた強い意志と反抗の精神と、同じ運命に虐まれる兄弟への深い愛著と。これらを胸に培うアンティゴネが、この禁令に従おうとは思いもよらない。必然の結果は叔父との対立、抗論、刑死である。」(ちくま文庫版p147148

 クレオンとアンティゴネの対立を、ヘーゲルが「ポリス(ないし人間)の掟」と「家族(ないし神々)の掟」の対立と見たことはよく知られています(「精神現象学」Ⅵ「真の精神 人倫」など)。ですが、これほど難しく考えなくても、もっと分かりやすい対立の構図が示されていることは、冒頭でのクレオンの台詞及びイスメーネーの諫言に対する彼の答えと、刑に臨むアンティゴネのセリフとを対比させてみれば分かります。

①クレオーン「この国に仇する者は、断じて自分の友とはみなさぬ。祖国こそわしらを守る船であり、傾かぬ船に乗っていてこそ、友ができる理を弁えているからだ。」(岩波文庫版p33

イスメーネー「それでは、ご子息の花嫁の命を奪うのですか。」

②クレオーン「ほかの女の畠を耕せばよい。」(p60

③アンティゴネ「たとえ私が母として生んだ子供たちが、また仮に夫が、死んで朽ち果てようとしていたとしても、町の人に逆らって、こんな骨折りはしなかったはず。それなら、いかなる理によってこんなことを言うのか。夫ならば、たとえ死んでも別の夫が得られよう。子にしても、よし失ったとて、別の男から授かれよう。しかし、母も父も冥界(ハーデス)にお隠れになった今となっては、また生まれ来る兄弟などありえぬのです。」(p8485