そもそも、法人はどうして発生したのか、その起源が気になるところですが、木庭先生によると、「13世紀の教会法学が個別教会に、(中略)教会は一つなのだけれど、実際には多くの教会に分かれ、しかも階層的に多重性を持つんだけれど、その一つ一つに、ミニチュアの人格を与え、なおかつ儀礼のカーテンを取り払って外の人格と対等の取引をさせたくなった。この時に法人概念が生成した」(前掲・p341)ということです。
もっとも、もちろん日本ではそうした事情はなく、「法人」は、民法と同時に明治期に輸入されたわけですが、日本には、それに先立って、「法人」の受け皿となるような概念・基体が存在していました。それは、「家」です。政治学者の渡辺浩先生は、「徳川日本において、人は必ずいずれか一つの家(「イエ」)に所属し、そのことによって家業・家職に従事して生きてきた。しかも、『イエ』は現在の構成員個々人の利益のための便宜的団体ではなく、先祖から受け渡されたものであり、子孫へ受け渡すべきものである。・・・『イエ』は一種の機構、あるいは法人である。」と指摘します(「日本政治思想史[17~19世紀]」p70~75)。
但し、実際には「イエ」に法人格が付与されるわけではありませんので、渡辺先生の指摘は、正確には、「『イエ』は『法人』と類似のメルクマールを有しており、それゆえ『権利能力なき社団』に近い概念・存在として機能してきた」という趣旨に解釈すべきでしょう。ちなみに、最高裁(最判昭和39年10月15日)は、権利能力なき社団のメルクマールとして、① 団体としての組織、② 多数決原理による団体としての意思決定、③ 構成員の変更にもかかわらず団体そのものが存続すること、④ その組織によって代表の方法、総会の運営、財産の管理その他団体としての主要な点が確定していること、を挙げています。もっとも、②(多数決原則)を認定しないまま権利能力なき社団であることを認める裁判例もあり、①と④は内容的に重複しているため、構成員からの独立性と団体組織性があれば足りると考えるのが簡明かもしれません。
このように考えると、江戸時代以来日本に存在している「イエ」は、個々の構成員から独立しており、団体組織性を有するある種の「法人」であったということが出来ることになります。そして、「イエ」は、現在の日本における大多数の「カイシャ」の前身であったとみることが出来ます。