「合意(約束)は守られねばならない」…Pacta sunt servandaという法格言は有名ですが、bona fides との関係では誤解を招くおそれがあります。前述のとおり、bona fides では、「約束は守らなくていいのに」となります。合意(約束)があったとしても外部から(échange などの作用によって)履行を強制されてはならず、履行するかどうかはあくまで自由な意思に委ねられる。それにもかかわらず約束を守るのは、「信頼」あればこそというわけです。メロスの親友であるセリヌンティウスは、メロスが期限に遅れれば自分の命を差し出す覚悟を決めているので、メロスとしては、たとえ遅れたとしても約束違反の責めを問われるわけではありません。メロスいわく、「信じられているから走るのだ。…なんだか、もっと恐ろしく大きなものの為に走っているのだ。」
(自律的な経済社会(「領域」)における信用は、)「まず政治を構築し,そして政治から産み出される,信頼関係を土台としている。それは「走れメロス」のあの固い連帯を意味する。理想的な友情関係である。力や利害関係を排除する。…しかし新しい社会の信用は,「走れメロス」の連帯とは非常に違うものである。極めて限定された範囲で信頼に応えればよく,かつ基本的にはそれぞれに帰属する資源を極大化しようと協働しているに過ぎない。裏に回って出し抜いたり,特殊な事情について敢えて黙したり,といったこと,透明性に反すること,はしてはならない。フェアでなければならず,そのために言葉を尽くす義務がある。この限りで政治的連帯を受け継ぐ。しかしながら,その連帯から解放されて別の意味で自由である,ということもある。互いに透明でフェアだからこそ安心して自由に振舞えるのである。」(木庭顕「ローマ法案内 現代の法律家のために」p105~106)
このように、bona fides は、「政治」を前提としつつもそれとは一定の距離を保つという、やや複雑な立ち位置ですが、「言葉を尽くす」、「透明でフェア」というのがキー・ポイントであるように思われます。「信頼は穿鑿を排除する:『鶴の恩返し』」というのも大事で、これは動機や結果予期を切断する政治システムの作用(「言葉を尽くす」)によるものです。鶴を疑うようでは bona fides は成り立ちません。
bona fides においては、双方が誠意を尽くしたものの合意(約束)が達成されなかったような場合には、払った金銭を単純に払い戻して終わらせ、「「ドンマイ、ドンマイ」でどんどん先に行こう」となります。ところが、その反面、市場で不特定多数を相手に販売する商品に隠れた瑕疵が潜んでいたり表示が間違っていたりするような場合には、半懲罰的な賠償や原状回復責任が課されるという側面を併せ持ちます(「新版 ローマ法案内 現代の法律家のために」p100~102。ちなみに、「ローマ法案内」には旧版と新版があります。)。