現在の「金融論」における「信用」とは、個人と組織・法人(42)で塩沢由典先生が指摘したとおり、「富の所有者とその利用者とを切り離すこと(decoupling)」、つまり、「現在富を有しているが今すぐ使用する必要のない人」と、「現在富を有していないが今すぐに使用する必要のある人」との間の、「タイム・ラグ」を隔てた交換と解釈されています。ところが、こうした「交換」のモデルは、モースがprestation totale(全体的給付)と呼んだ形態に属しており、それゆえ社会全体を巻き込む付随的な作用を散乱させることとなります。具体的には、借り手は貸し手に対して心理的経済的に大きな負担を感じ、それが予測不能のリアクションを連鎖的に生ぜしめ、他方、貸し手にとってのリスクは、不安を生ぜしめ、実力行使を含む干渉を招きます(信用の比較史的諸形態と法 研究成果報告書(平成25年6月5日現在))。
Dans les économies et dans les droits qui ont précédé les nôtres, on ne constate pour ansi dire jamais de simple échanges de biens, de richesse et de produits au cours d’un marché passé entre les individus. D’abord, ce ne sont pas des individus, ce sont des collectivités qui s’obligent mutuellment, échangent et contactent. ・・・・・・
Enfin, ces prestations et contre-prestations s’engagent sous une forme plutôt volontaire, par des présents, des cadeaux, bien qu’elles soient au fond rigoureusement obligatoires, à peine de guerre privée ou publique. Nous avons proposé d’appeler tout ceci le système des prestations totales.
「現代に先行する時代の経済や法において、取引による財、富、生産物のいわば単純な交換が、個人相互の間で行われたことは一度もない。第一に、交換し契約を交わす義務を相互に負うのは、個人ではなく集団である。(中略)
最後に付け加えたいのは、このような給付と反対給付は、進物や贈り物によってどちらかといえば任意な形で行われるが、実際にはまさに義務的な性格のものであり、これが実施されない場合、私的あるいは公的な戦いがもたらされるようなものであるということである。われわれは、これらすべてを「全体的給付体系」と呼ぶことを提案した。」(「贈与論」(ちくま学芸文庫)p17~18)
つまり、既存の金融論における「タイム・ラグを隔てた交換」というモデルは、「ヤミ金」の取り立てのような実力行使による干渉の契機を当初から孕んでいたというわけです。先にご紹介した事案において、B信用金庫がA株式会社に人員を送り込み、有無を言わせず債権を全額回収した行為も、こうした干渉の一種と言えます。