さて、「深夜に月餅の色を調べる」作業は、一体、「教育」なのでしょうか、それとも単なる「嫌がらせ」(新兵いびり)なのでしょうか。私の見立てでは、これは、上のいずれでもなく、「通過儀礼」(rite de passage, initiation)ないし「加入儀礼」と呼ばれるものだと思います(「抜歯」、「刺青」、「割礼」などの原始的な「自傷行為型」が有名ですが、近代的な例として、先に挙げた旧陸軍内務班などのような「人格否定型」もあります。)。一見すると理不尽・不合理に思える上司の要求に応えることは、組織からそのメンバーとして認知されるための一種の儀礼なのです。

山口さんは、こうした「通過儀礼」ないし「加入儀礼」を通過したためか、「地獄のような」「最初のタフな1年間をともに生き延びたこの仲間を、今でも私は戦友のように思っています」(前掲書p99)と述べています。ここで、「仲間」や「戦友」という言葉に注目すべきです。「儀礼」に参加したのが「集団」であることは、実は、大きなポイントなのです。

山口さんの例から分かるように、また、発祥からも明らかなのですが、「通過儀礼」ないし「加入儀礼」は、人間の群居本能に働きかけるものであり、それだけに、良くも悪くも強力な作用を発揮します。極端な例ですが、いわゆる「ブラック企業」に就職し、過労死寸前まで働かされたあげく、うつ病を発症して休業中の労働者の方で、「元の職場に戻りたい」と希望する人がいました。ここまで来ると、もはやマインド・コントロールの域に達しているようにすら思えます。

こうした「教育」の名を借りた「通過儀礼」ないし「加入儀礼」は、上手くいけば組織のために全力を尽くす人材を養成することも出来ますが、一方で、容易に想像されるとおり、強烈な副作用の危険性も孕んでいます。代表的なものは、人格否定などによって起こる精神疾患です。「フルメタル・ジャケット」でも、「ほほえみデブ」という新兵は、ハートマン軍曹による「教育」のために精神に変調を来し、ハートマン軍曹を射殺して自殺してしまいます。