ここで、「国家法人説」に関するある指摘をご紹介します。

「本質概念としての法人格とは、法規範の統一的複合体を意味する。そうした精神的統一体を「人格」と呼んで、擬人的な表現を用いるのは、原始社会以来、つねに人間の思惟を支配したアニミズムの結果であり、かつ、アニミズムにもとづく言語の擬人的性質の結果である。」宮沢俊義「(改訂版)憲法」(有斐閣)p4)。

このように、宮沢先生は、「法人」一般が「アニミズム」の所産であると指摘するのですが、これはどうやら正しくないようです。というのも、「法人」の起源は、先に指摘したとおり、中世教会法における「キリストの身体」(Corpus Christi:コルプス クリスティ)である(個別)教会だからです(「団体」のこともラテン語ではcorpusと呼ぶそうです(木庭顕「法学再入門 秘密の扉」p339~340)。)。

国家に法人理論を応用したのはホッブズということですが、そこではやはり教会法の神学理論が適用されていました(木庭顕「笑うケースメソッドⅡ 現代日本公法の基礎を問う」p37)。どんな末端の機関も頭と対等であり、しかも、頭といえども神の代理人ではなく、「キリストの身体」の一部分に過ぎないとされています。対して、キリストの精神(Animus:アニムス)は天上の父のもとに帰っています(前掲・p312)。つまり、「法人」は、神学理論によって、精神(アニムス)の抜け殻である身体(コルプス)として位置付けられたのです。これは、アニミズムとは別次元の発想ということが出来ます。

このように、「法人」は、アニミズムとは異質な発想に基づいて誕生したものですので、宮沢先生の上述の指摘は、おそらく修正されるべきなのでしょう。ちなみに、宮沢先生のその後の著作である「憲法Ⅱ(新版)」には、このような記述は見当たりません。