第二次大戦後、法制度の上で17世紀以来の「イエ」が解体されたとしても、それによって「イエ」的な思考・行動様式が完全になくなってしまったかというと、そうではありません。例えば、企業や職業の世襲は現在でも広くみられますが、これは「家業」「家職」の考え方のあらわれと解することが出来ます。そして、「イエ」的な思考・行動様式を端的に示しているのが、先に引用した「金融ビッグバンの政治経済学」の著者が提示した、「アクターは『組織存続』を究極の目標とする」という仮説です。特に、「組織的な名声の最大化」という言葉には、武家(武士の「イエ」)の思考・行動様式の名残が感じられます。

ところで、「イエ」が「存続」を志向する理由を、日本人の死生観という観点から解き明かしたものがあります。柳田國男によると、日本人が「イエ」の永続を願う背景には、「血食」(けっしょく)という考え方がありました。「血」というのは生贄の血を指しており、「血食」は「生贄を宗廟に供えて祭ること」を意味します。以下は、柳田國男の「明治大正史 世相篇(下)」(講談社学術文庫)からの引用です。

(日本上古以来の信仰と仏教との)「橋を架けにくかった内外二つの信仰の差は、われわれはもと天竺の人のように、完全なる輪廻転生の法則を承伏していなかったことである。死んでたちまち別の家庭に属し、あるいは別の世界に引っ越してしまうというふうには、霊魂の行くえを眺めていることができなかった。眼にこそ見えないが郷土の山川草木には、親の親たちが憩い宿って、かつて参加していた現世の生活を、なつかしげに見守っていると思っていたのである。」(p69)

「死んで自分の血を分けた者から祭られねば、死後の幸福は得られないという考え方が、いつの昔からともなくわれわれの親たちに抱かれていた。家の永続を希う心も、いつかは行かねばならぬあの世の平和のために、これが何よりも必要であったからである。」

「血食という語は中国でも古くからあった。仏法の教えではその窮極の願いを成仏と教えていたが、われわれの家のほとけ様というのは、ただ怒り憤ったり、怨んだりしない亡霊ということで、毎年の盆と彼岸とには還って来て、いつまでもこの娑婆に愛情を残し、始終家の者の面倒を見ていたのである。」

「家を富ませたいという念願の底にも、やはりまたこの血食の思想があった。立派な葬式、盛大な仏事を営んでやることが、祖先と自分たちのあの世の幸福を、いっそう深めるという思想は、人情として当然であったろう。」(p61~63)

「血食」は、中国古来の風習ですが、古代ギリシア・ローマでも同様の風習がみられました。以下は、フュステル・ド・クーランジュの「古代都市 (LA CITÉ ANTIQUE)」(白水社、訳:田辺貞之助)からの引用ですが、日本人の伝統的死生観と酷似している点が興味深く思われます。

「ギリシアやイタリアの住民の根源をなすインド・ヨーロッパ民族の歴史をできるだけ遠くさかのぼってみても、この民族がみじかい現世のあとですべてが無に帰してしまうと考えていた証跡は見いだすことができない。はるかな太古の時代にあっても、人は哲学者があらわれるまえから、現世ののちには他界の生活があると信じていた。そして、死というものを肉体の消滅とはおもわずに、単なる生命の転化とみていた。

しかし、その他界の生活は、どこで、どんな風におこなわれたか。はたして人は不滅な霊魂がひとつの肉体をはなれると同時に他の肉体へやどりにゆくと信じていたであろうか。いや!転生(てんせい)輪廻(りんね)の信仰は、ギリシア・イタリアの住民の心には根をおろすことができなかった。この信仰は、東洋のアーリア民族の思想としても、最古のものではない。吠陀(ヴェダ)族の賛歌にもそうした信仰はない。それなら、彼らは霊魂が上天へ、光の境地へのぼってゆくと信じていたであろうか。それもちがっている。霊魂が天上の住所におさまるという思想は、西洋ではわりにあたらしい時代の信仰である。天上界は少数の偉人や人類の恩人への報酬とみられていた。イタリア人やギリシア人の最古の信仰にしたがえば、霊魂は現世とはまったくちがった土地へいって死後の生活をいとなむわけではなく、人間のまぢかにとどまって、地下で生活をつづけるのである。」(p42)