「自転車泥棒」のアントニオのように、働いて稼ぐための元手(その最たるものが自転車)が不足している場合、資金(カネ)が与えられれば、これを得ることが出来、等量曲線は、「労働」のインプットを増加させることなく右上方にシフトさせることが可能となります。ところが、木庭先生が指摘したとおり、現在の日本では、「信用」が機能していないという点が問題です。

まず、「信用」とは何かという問題について考えてみたいと思いますが、これについては塩沢由典先生の指摘が参考になります。

在庫の基本的機能は連結するふたつのものを時間的に切り離すこと(decoupling)である。・・・もし在庫の保有が不可能であり、販売と産出、仕入れと投入との切り離しが不可能であるとすれば、・・・無駄のない生産を組織するには遠い未来の需要を正確に知らなければならないが、そのようなことはもちろんできない。」

「在庫に比べると貨幣はより手の込んだ仕組みであるが、その基本的機能はやはり切り離しにある。・・・貨幣はそこに一般的等価物という観念を持ち込むことにより、個人における売りと買いの分離を可能にしたのである。・・・貨幣の保持は決定の留保であるから、それは反面では消費や投入への緊急性の欠如を示している。・・・このとき他方に緊急性に直面している個人あるいは法人がいるとすれば、貨幣の貸借が起こりうる。これが信用である。」

「信用は富の所有者とその利用者の分離を可能にする点でやはり連結したものの切り離しを基本機能としている。貸借関係は、しかし、それ自身では複雑性に抗する手段といえない。その成立はむしろ事態の透明性を前提としている(銀行借入にあたっての査定や返済計画の作成をみよ)。信用が借手の返済能力に基本的に依存しているかぎり、これはやむをえないことである。」(「市場の秩序学」p285~289)

「信用」は、在庫や貨幣と類似しており、富の所有者とその利用者とを切り離すこと(decoupling)を基本的機能としています。かつ、当事者間の関係における透明性と借手の返済能力とを前提としている点が特徴です。ここで塩沢先生が言うところの「透明性」や「借手の返済能力」は、木庭先生の言葉で言えば、「実力の排除、徒党や不透明な利殖の不存在、闊達に自己の利益を追求するもののフェアにのみ行動するメンタリティ(及びこれに基づく行動原理)」、すなわちbona fides(ボナ・フィデース)(「新版ローマ法案内 現代の法律家のために」p97~98)とほぼ同義と思われます。