この浄瑠璃は、天和3年(1683年)に京都四条烏丸の大経師以春(だいきょうじいしゅん)の家で起きた事件を素材としています。大経師(だいきょうじ)というのは、広辞苑によれば「経巻・仏画などを表具した経師の長で、朝廷の御用をつとめたもの。奈良の幸徳井こうとくい氏・賀茂氏より新暦を受けて大経師暦を発行する権利を与えられた。」とあり、以春はその当主、おさんはその妻です。

おさんの実家(岐阜屋)は、もとは由緒あるイエだったのですが、収入に見合わない華美な生活を続けるうちに借金が膨らみ、当主の道順(おさんの父)は、家屋敷を抵当に入れざるを得ない苦境に陥ってしまいます。ゆえに家業の継続は難しく、一人娘のおさんに婿養子を迎えることも出来ないでいたところへ、「(こしらへ)いらぬ土産もいらぬ。育てた親に見込が有る。娘の心が土産じゃ」(以下、引用は全て「日本古典文学大系49 近松浄瑠璃集 上」(岩波書店、昭和33年)から)と持参金なしでおさんを引き受ける旨以春が申し出たことから、道順は、「一代切(いちだいぎり)に家を捨て嫁入りさせ」ることを決心します。要するに、おさんは、岐阜屋と大経師(イエとイエ)との間の échange の対象にされてしまったのです。

おさんの不幸はこれだけにとどまらず、嫁入り後も資金繰りに困った実家から無心されますが、夫の以春に頼むのは「大事の息女(むすめ)にひけが付く」というので、おさんの両親が許しません(このあたりは道順夫婦のエゴでしょう。)。困ったおさんが手代の茂兵衛(もへえ)に相談すると、茂兵衛は、「旦那の印判一つ問屋へ持って参れば、江戸為替二貫目や三貫目常住取遣いたします」と述べて、以春の印判を白紙の手形に押して(つまり、手形を偽造して)、現金化することを提案します。犯罪めいた話ですが、このようなことが可能である背景には、手形に関する確固たる信用が商人間で成立していたことを示しています。ところが、茂兵衛は、手形偽造の現場を、もう一人の手代である助右衛門(すけえもん)に見つかってしまいます。

ところが茂兵衛は、おさんをかばい、「茂兵衛が口から言譯(いいわけ)せぬ」と弁解を拒みます。かねてより茂兵衛に思いを寄せていた下女の玉(たま)は、これを見てとっさに、「実は自分の伯父のために金の工面をしてもらったのだ」と虚偽の説明を行って茂兵衛を救おうとします。このくだりは、茂兵衛と玉による「自己犠牲合戦」の様相を呈していますが、おさんはその後玉に謝意を表するわけなので、いかに当時の社会が、「自己犠牲」を是とする échange の思考・行動様式に染まっていたかを示しています。ちなみに、玉は、自分を相手にしない茂兵衛に見せつけるため、「(ここ)で心底見せいでと我が身を捨てた」と説明するとおり、一世一代のポトラッチに打って出たと見ることが出来そうです。