第3部は「狙撃兵との戦い」です。Wikipedia(フルメタル・ジャケット)の要約がよくまとまっていますので、一部省略した上で引用します。
「ある日カウボーイたちは、情報部から敵の後退を知らされ、その確認のためにフエ市街に先遣される。しかし交戦地帯で小隊長が砲撃で戦死、さらに…分隊長を失う。残る下士官のカウボーイが部隊を引き継ぐも、進路を誤って転進しようとしたところに狙撃兵の待ち伏せを受け、2人の犠牲者を出す。無線で前線本部の指示を仰ごうとしたカウボーイは、廃ビルの陰に隠れたつもりが、崩れた壁の隙間から襲ってきた銃弾に倒されてしまう。残されたジョーカーらは狙撃兵への復讐を決意し、…狙撃兵がいるとみられるビルに忍び込む。ジョーカーが見た狙撃兵の正体は、まだ若い少女だった。ジョーカーは狙撃兵から返り討ちにされそうになるが、駆け付けたラフターマンが彼女に銃弾を浴びせた。虫の息となった狙撃兵の少女は祈りながらとどめを刺すよう懇願し、ジョーカーは様々な思いの中で拳銃の引き金を引いた。…ジョーカーらは高らかに歌いつつ、闇夜の戦場を行軍してゆく。」
期せずしてリーダーの役目を担うこととなったカウボーイは、前線本部(監督が声を演じています)に戦車の派遣を依頼しますが、援軍はやって来そうにありません。市街戦では集団作戦が通用せず、彼らは見えない狙撃兵との1対1の対決を余儀なくされた結果、次々に狙い撃ちされてしまいます。ここでは、「軍隊=無分節集団の解体・無力化」が描かれています。
ジョーカーたちは、辛うじて「敵」である狙撃兵を射止めます。「敵」の存在こそが、軍事化と一連の軍事化イニシエーションを正当化する唯一の根拠だったのですが、現実の「敵」はか弱い少女であり、これまで彼らが想定してきた「敵」のイメージとはおよそかけ離れたものでした。少女は、異教の神に祈りを捧げながら、ジョーカーが撃ち込んだ「フルメタル・ジャケット」によって息絶えますが、これは同意殺人であり、実質的には自殺です。そういえば、ゴーマー・パイルの死因も自殺でした。
冒頭でも指摘したとおり、ラストシーンでは、ジョーカーたちが「ミッキー・マウス・クラブ・マーチ」を歌いながら行進します。これは、”Born to Kill”(殺すために生まれた)と書かれたヘルメットを被りながら胸に“Peace”(平和)のバッジを付けていたジョーカーのように、彼らがカール・グスタフ・ユングのいわゆる”the Duality of Man”(人間の二面性)の領域に踏みとどまったことを示していますが、さらに言えば、軍事化イニシエーションの呪縛から脱してそれ以前の状態に復帰したという解釈も可能と思われます。ちなみに、監督は、「彼らがつい最近まで子供だったということを表現するために入れたんだ」と説明しています(「ムービーマスターズ スタンリー・キューブリック」p64)。