与信における透明性の欠如と、与信を行う側のスタンスの問題は、密接に関連しています。そして、金融機関が、自らの「組織存続」という観点から信用を供与する相手を選別し、又は信用供与の可否を判断し、しかもその与信が不透明であるという現象は、つい最近も起きています。S銀行による不動産投資向けの不正融資問題です。
S銀行は、もとは農村の相互扶助組織が母体となった地方銀行ですが、同行が、(他の地銀が開拓しようとしなかった)個人に特化した金融に舵を切ったのは、オーナー家の人物が頭取に就任したことが契機であると言われています。ここで注目すべきは、S銀行は、「イエ」の要素を転写した同族経営の「カイシャ」であったという点です。「イエ」が「永続」を究極の目標としていることは繰り返し述べたとおりですが、「カイシャ」という形になってからは、「組織存続」のため、法人取引の拡大を諦めて個人に特化した金融に路線転換したものと思われます。
ところで、銀行が「組織存続」を図るためには、「融資残高維持」が至上命題となります。ところが、個人は法人と違ってドライなところがあって、低い金利の銀行を見つけると繰上償還することも多いので、既往先との取引(残高)を維持することは容易ではありません。このため、S銀行は、1990年代半ば頃から「新規開拓最優先」の営業政策をとるようになります。ところが、その後、他行も個人向け金融に参入して競争が激化し、新規開拓が伸び悩むようになります。そうした中で、2000年代後半になると、S銀行は、投資用のアパート、マンションの購入・建築資金を積極的に貸し出す戦略をとるようになります。
この戦略は、「不動産プチバブル」と呼ばれた時期は上手くいったかのように見えましたが、実際には融資残高を維持するためだけの自転車操業に陥っており、現場では、苛烈なノルマとパワハラに駆り立てられた行員が暴走し、審査書類の偽造などの不正が蔓延する状況でした(日本経済新聞社編「地銀波乱」p62~109)。
もっとも、「組織存続」のための業務に明け暮れてきたのは、S銀行だけではありません。地方銀行全般について人材の流出が指摘されていますが、ある地方銀行を退職してフィンテックベンチャーに転職した武井恭子さんは、離職理由について、「企業に融資しようにも担保がなくて貸せなかった。それが銀行の決まりだったから。」と述べています(前掲・p183)。「担保がないと貸さない」というのは、要するにリスクを取りたくないということであり、結局のところ「組織存続」を最重視する姿勢の反映と言えます。