その後、おさんと茂兵衛は奥丹波に逃れ、身請けされた遊女とその恋人を装って隠遁生活を送ることとなります。身を寄せていたのは、助作という男の家ですが、助作は、実は助右衛門の従兄弟でした(これについて、桑原先生は、町人社会(助右衛門)と土地を基盤とする在地社会(助作)との癒着を象徴するものであると指摘しています。)。
ところが、たまたまおさんを見かけた「萬歳」(芸人)が毎年大経師家に出入りしていた者で、遊女がおさんであることを見抜きます(ストーリー展開からすると、おそらくこの「萬歳」がおさんの件を助作に通報したものと思われます。)。これについて、桑原先生は、近松が、「おさんを裏切り通報するかも知れない存在、すなわちおさんを心理的に追い詰める役割を持つ者」として「萬歳」を登場させたと主張し、その背景事情として、「萬歳」が年頭以外は陰陽師としての活動を行っており、幕府と強いつながりを持っていた土御門家の配下にあったことを指摘します。土御門家は、大経師家を排除しようとしていた幕府との関係を重視して、自分の子分とも言うべき大経師家を切り捨てた(「上からの圧力」)というわけです。
さて、おさんと茂兵衛が役人に捕まると、なぜか助右衛門がやって来て、二人の身柄を自分に引き渡すよう役人に要求しますが、さすがにこれは通りません。このように、役人ではなく、茂兵衛と同じ奉公人である助右衛門が、おさんや茂兵衛を捕まえようとする点について、桑原先生は、町人社会内部における「横からの圧力」、あるいは「連帯の拒否」を示したものと指摘します。現代で言えば、「非正規労働者における連帯の弱さ」(例えば、低い労働組合加入率など)に置き換えて理解することが出来るかもしれません。前述の「上からの圧力」に加え、この「横からの圧力」が、おさんと茂兵衛を押し潰そうとしたのです。