ところで、クレオンが言うところの「船」や「友」が集団、具体的にはポリスを指していることは確かなようですが、彼が守ろうとするものが本当にポリスなのかどうかについては、疑問を差し挟む余地があります。例えば、彼の息子であるハイモンの、「たった一人から成るポリスは無い」、「無人の荒野でも治めていればよい」という批判(「デモクラシーの古典的基礎」p283)を見ると、クレオンは、祖国の人々というよりも、単に「土」(テリトリー)に固着しているだけなのではないかとも言えそうです。
クレオンが「血と土」(血縁とテリトリー)を集団への帰属原理として援用していることは、木庭先生が指摘するとおりですが(「誰のために法は生まれた」(p222~)、ここでやや視点を変えて、「土」を文字通りに解すると、面白いことに気づきます。そもそも、アンティゴネが罰せられたのは、ポリュネイケースの死骸に土をかけようとしたためでしたが、当時のギリシャでは、(ごく一部の例外を除く)人間は死後は地下で生活を続けるものと考えられており(個人と組織・法人(11))、埋葬は、遺体を「土」に埋めることによって、地下の死者たちに受け入れてもらうための儀礼でした(岩波文庫版・p20~21)。
つまり、クレオンとアンティゴネの対立は、「土」を単なるテリトリー、すなわち、生者のために「利益」(果実)を生み出すものとしか見ない思考(クレオン)と、死者の世界=冥界の一部でもあると見る思考(アンティゴネ)との対立ということも出来るように思われます。ベルトルト・ブレヒトはこの点に気づいていたようで、ブレヒト版の「アンティゴネ」(光文社、谷川道子訳)には、「土」に絡めた以下のような台詞が鏤められています。
クレオン「テーバイよ、お前はアルゴスの民を荒れ果てた地に投げ倒した。お前をあざけった奴らは、今、国もなく、墓もなく、荒野に横たわっている」(p32)
使者「ご子息のメガレウス殿も今はなく、切り刻まれて、アルゴスの固い大地に横たわっている」(p104)
ちなみに、ブレヒト版において、クレオンは「総統(フューラー)殿」と呼ばれていますが(p36)、「血と土」はナチスのスローガンでもありました。