金融機関が企業の存続可能性(財政持久力)を与信判断の最大のポイントとしてしまうことが適切でない最大の理由は、私見では、「échange (エシャンジュ)の連鎖に陥ってしまい、信用が機能しなくなるおそれが生じるから」ということになります。échange という言葉は、フランスの社会学者や人類学者が使い始めた言葉のようですが、翻訳不能なので、原文で用法を見てイメージを掴んでおく必要があるかもしれません。以下、マルセル・モースの「贈与論」(Essai sur le don)からの一節を引用します。

Et toutes ces institutions n’expriment uniquement qu’un fait, un régime social, une mentalité définie: c’est que tout, nourriture, femmes, enfants, biens, talismans, sol, travail, services, offices sacerdotaux et rangs, est matière à transmission et reddition. Tout va et viens comme s’il y avait échange constant d’une matière spirituelle comprenant choses et hommes, entre les clans et les individus, répartis entre les rangs, les sexes et les générations.

「・・・さらにこれらの制度は、一つの事実、一つの社会制度、一つの心性を表すに過ぎない。つまり、食物、女性、子供、財産、護符、土地、労働、奉仕、宗教的役割、位階などすべてのものは譲渡され、返還される物体であるということである。人と物を含む霊的な物体の永続的交換が位階、性、世帯に分かれたいくつものクランや個々人の間にあるかのように、あらゆるものが往来するのである。」(「贈与論」(ちくま学芸文庫)p39~40)

つまり、échangeとは、おおまかに言えば、「複数の枝分節集団の間で、あるいは一つの枝分節集団の内部で、『人と物を含む霊的な物体』が永続的に行ったり来たりする現象」を指しています。それでは、どうしてéchange が発生するのでしょうか?この問いに対し、モースは、「物はもとあったところに戻る性質がある(と考えられている)」ことを利用して、贈与によって「取り消しのきかない双方的な絆」を作り、相手より優位に立とうとするためという答えのほか、もう一つ別の答えを示唆しているように見受けられます。

Tous se tient, se confound; les choses ont une personnalité et les personnalités sont quelque sorte des choses permanentes du clan. Titres, talismans, cuivres et esprits des chefs sont hononymes et synonimes, de même nature et de même fonction.

「・・・すべてのものが互いに結びつき、混じり合う。物はそれぞれ人格を持ち、人格はクランの所有するある種の永続的な物である。称号、護符、銅器、首長の魂は同系異義(ホモニーム、homonymes)であるとともに同義(シノニーム、synonymes)であり、同じ性質と同じ機能を持っている。」(前掲・p114)

モースは、「人と物は行ったり来たりする(ように見える)けれども、クラン(氏族)の人格(personnalités)は永続的なものである」と指摘しています。分かりにくいところですが、裏を返せば、「(有限の生命しか持たない・必ずしも永続的なものではない)人と物が行き来すること(échange)によって、クランの人格(personnalités)は永続的(permanente)なものとなる」という趣旨も含んでいると解されます。つまり、枝分節集団の存続・永続のためにこそ、échange が必要なのです。